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意識していることへの意識-意識の再帰性を考える
https://repo.qst.go.jp/records/85110
https://repo.qst.go.jp/records/8511016b50e05-62a8-4848-8406-c8868176fe62
| Item type | 一般雑誌記事 / Article(1) | |||||
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| 公開日 | 2022-03-08 | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | 意識していることへの意識-意識の再帰性を考える | |||||
| 言語 | ||||||
| 言語 | jpn | |||||
| 資源タイプ | ||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
| 資源タイプ | article | |||||
| アクセス権 | ||||||
| アクセス権 | metadata only access | |||||
| アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_14cb | |||||
| 著者 |
山田, 真希子
× 山田, 真希子× Makiko, Yamada |
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| 抄録 | ||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||
| 内容記述 | フランスの哲学者Rene Descartesのコトギ「我思う、ゆえに、我あり」は、何かを意識しているのは私であるという自覚が、人間の意識体験に宿っていることを言いあらわしている。このような自覚は、意識している自分を俯瞰する意識(意識していることへの意識)であり、意識の究極のレベルに位置づけられるものである。本稿では、意識していることへの意識が何を指すのかを整理し、脳が脳自体の状態を語り得る不思議について、再帰性という観点から考察する | |||||
| 書誌情報 |
意識していることへの意識-意識の再帰性を考える 巻 73, 号 1, p. 7-12, 発行日 2022-02 |
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| ISSN | ||||||
| 収録物識別子タイプ | ISSN | |||||
| 収録物識別子 | 0370-9531 | |||||