@misc{oai:repo.qst.go.jp:00064645, author = {鈴木, 敏和 and その他 and 鈴木 敏和}, month = {Jun}, note = {1. はじめに 2011年3月14日朝までに、大熊町にあった福島県原子力災害対策センター(オフサイトセンター)に隣接する福島県環境医学研究所内は、地震に伴う室内の散乱から簡単な休憩や計測が出来る状況にまで復旧していた。ホット・コールドの汚染エリア分割を終え、除染シャワー設備も自衛隊の給水車との接続を待つばかりであった11時30分、オフサイトセンターに戻ろうと正面玄関まで歩いて行くと、閉め切られた入口ガラス扉前で呆然と立ちすくむ自衛隊員6名を発見した。 オフサイトセンター側からは大勢の人間がガラス扉越しに自衛隊員を見ているばかりであった。何事かと聞けば、3号機で爆発があり、巻き込まれたとの事。1名は抱きかかえられ、足部に出血も見られた。 この日、炉は安定しているとの情報に基づいて放給水支援に向かった6名は中央特殊武器防護隊長の指揮のもと、1台の4輪駆動車と2台の水タンク車で3号機に向かっていた。到着直後の11時01分、目の前の原子炉建屋上部が突然爆発し、激しい爆風により3台とも横転した。水タンク車はタンク部分が大きくへこみ、降ってきた巨大なコンクリート片の一つは先頭の4輪駆動車を直撃し、運転席と助手席の間に落下した。反射的に車両を飛び出した6名は、瓦礫と高い線量率のもとで生命の危険を感じながらも必死で脱出ルートを探した。たまたま、放置車両を発見し、付いていたキーを回すとエンジンが始動、急いで原子炉周辺から退避した。しかし、車両を構外に持ち出すわけにもゆかず、一旦、正門で全員が降りた。正門の外を見ると、資材を届けるために発電所へ来たものの、爆発で中に入れなくなった軽トラックが1台、停車していた。事情を説明して全員を荷台に載せてもらい、オフサイトセンターへと戻ってきた。 入り口ガラス扉前で出会ったのは、まさに、その時であった。放射性プルームが来る可能性があり、扉を開けないよう連絡を受けていた入り口係員は、忠実に指示を守っていた。 手許の広レンジNaIシンチサーベイから線量率高アラームが発せられたため、隊員の体に近づけると、10cmの距離で1mSv/hを超えた。緊急の除染が必要と判断し、各自2m以上の距離をとって環境医学研究所まで走ってもらった。偶然にも給水車との接続が終わった直後であったことから、全員に屋外での脱衣を指示した。しかし、タイベック下の迷彩服にまで完全に汚染が浸透していたため、ハサミで全衣服を切り裂いて除染シャワーまで誘導した。 負傷者は4名、そのうち1名はヘリコプターで放医研に搬送されたが、健康状態に問題はなく3月17日には退院した。 2. 結果および結論 個人線量計はTLDに加え電子式線量計を装着していたが、脱ぎ捨てられた迷彩服に残った各自の電子式個人線量計からは、やがて次々と警報を発報した。設定線量は20mSvであった。 2012年10月25日の段階でも迷彩服表面には最大1800Bq/cm2のCs-134/137の汚染が残存していた事を考慮すると、外部被ばく線量が20mSvを超えていることはないと考えられる。 体内汚染はホールボディーカウンタと採尿によって確認した。搬送初期の段階ではヨウ素起因の体表面汚染が除染できず、ホールボディーカウンタではデットタイムが60%を超えたことから計測は困難であった。そのため、主たる計測は尿中のγ線分析に拠った。尿中には圧倒的なI-131,I-132を主体としてTe-131,Te-132,Cs-134,Cs-137等が含まれていた。大量のヨウ素は事前に服用していた安定ヨウ素剤によりブロックされた成分と推測される。表面汚染の寄与が無視できる時期に得られたホールボディーカウンタでの計測値に基づく最大預託実効線量はCs-137で約1.2mSvであった。, 日本保健物理学会第45回研究発表会}, title = {水素爆発に巻き込まれた自衛隊員の被ばく線量評価}, year = {2012} }